ファンタジー 名文句 迷文句 第1集

三つの指輪は、空の下なるエルフの王に、
 七つの指輪は、岩の館のドワーフの君に、
九つは、死すべき運命の人の子に、
 一つは、暗き御座の冥王のために、
影横たわるモルドールの国に。
 一つの指輪は、すべてを統べ、
 一つの指輪は、すべてを見つけ、
 一つの指輪は、すべてを捕らえて、
 くらやみのなかにつなぎとめる。
影横たわるモルドールの国に。

出典 指輪物語(評論者)J・R・Rトールキン 作  瀬田貞二 訳

紹介者 ダラ男
HP ここ

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最初にこの企画を思いついたときから、一番最初は指輪物語と決めてました。というか、ファンタジーの名前を付ける以上「指輪物語」しか最初はありえないでしょう。問題は「どこ」を選ぶかです。名場面・名文句。山ほどあります。散々迷いました。結果、一番最初の投稿は指輪物語の最初。「ファンタジーの歴史が変わった瞬間」ともいえるこの詩こそがファンタジー名文句の先頭を飾るのにはふさわしいと思います。
「海だ」
「これも海か!」
「ああ、これも海だ。」
「これも海か!」
「ああ、これも海だ。」
「これも全部海か!」
「ああ、これも海だ!」
「少し黙ってくれないか!」

※セリフ以外を省略しています
出典 冒険者たち ガンバと十五匹の仲間(岩波書店) 斉藤敦夫 作  薮内正幸 画

紹介者 ダラ男
HP ここ

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「1番好きな本は?」と聞かれると1つに絞るのは難しい。
でも「1番ワクワクして面白かった本は?」と聞かれたら、この「冒険者たち」です。
今でもはっきり覚えています。初めて見たのは小学校3年生の夏休みに入る直前。姉の学研の学習の「夏休みのオススメの本」の紹介のような記事があって、そこに薮内正幸さんの画いた表紙が載ってました。オオミズナギドリ(当時の私はカモメだと思っていました)の上に乗り海の上を飛ぶネズミ。この絵を見た瞬間「この本を読みたい!!」という気持ちになりました。なかなかその本が手に入らず忘れかけていた頃、小学校5年生の夏休みに母が町の図書館で見つけて借りてきてくれました。(私が「読みたい」って言ったことを2年も覚えてくれていた母に感謝)
小学生が読むには結構分厚い本ですが、むさぼるように一気に読んでしまいました。
小学校5年生の夏休みにこの本を読ませるのはある意味危険です。
週刊少年ジャンプの公式「友情」「努力」「勝利」のパターンと同じで、しかも「夏」「海」「冒険」の3要素が加わってます。あっという間に「冒険者たち」のとりこになりました。
ダラ男の本好き、ファンタジー好きの原点はこれです。
この本も名場面てんこ盛りなわけで、どこを紹介するかで悩みました。選んだのは主人公ガンバが初めて海を見た場面です。この小説のもう一人(といっていいのかわかりませんが)の主人公でもある「海」の素晴らしさを現す名場面です
さあページをめくりたまえ
出典 火吹山の魔法使い(社会思想社→扶桑社) スティーブ・ジャクソン&イアン・リビングストン 作  浅羽莢子 訳 
他 ファイティングファンタジーシーリーズ

紹介者 ダラ男
HP ここ

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少しヒネリを加えて小説ではなくゲームブックから。ゲームブックって何?って方も多いでしょうから説明をリンクしておきます
ALLABOUTの記事にもなっていますが、ファミコンが普及する少し前、子供たちをファンタジーの世界に旅出させたのがゲームブック。
その異世界への旅立ちのための決まり文句がこの「さあページをめくりたまえ」です。
「ここが、日常と非日常を分ける場所だ!」そうはっきり言えるすばらしい名文句です。
「人間失格」
出典 人間失格 太宰治 作

紹介者 ダラ男
HP ここ

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「ファンタジーじゃないだろっ!」ってツッコミが入るのを承知でこれを。このサイトのファンタジーの定義が「私、あなた、もしくは誰かが非日常もしくは異世界を感じた、もしくは感じさせたモノ」である以上ファンタジーです。
2008年は太宰没後60年、2009年は太宰生誕100年ということで、しばらく出版社も太宰に力を入れるはずです。
投稿日は6月7日。太宰の誕生日で遺体発見の日でもある6月19日の桜桃忌(おうとうき)直前ということもあってのチョイスです
作品についてはあれこれ私が言うまでもなく、また話し始めるといろんな意味でエライことになりそうなのでなにも言いません。
「非日常性」・「インパクト」は最強クラスだと思います。
余は偉大なる落伍者となって、何時の日にか歴史の中によみがえるだろう
出典 坂口安吾が新潟中学校を放校になった際に机のふたの裏側に彫った言葉

紹介者 ダラ男
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太宰がファンタジーなら同じ新戯作派の安吾もファンタジーということで。既に著作物の範囲すら超えてますが、サイトの方針を示す意味でも取り上げました。
同じ新戯作派の太宰治と坂口安吾。どちらも金持ちの名家の生まれ。無頼派と称された破天荒な行動。ある意味似たもの同士の二人ですが、個人的には決定的な違いがあると思ってます。それは、「太宰は天才」「安吾は凡才」だということです。まぁどちらも常人の枠のなかには入りきれなかったのは間違いないでしょう。そのため、二人にとってこの世界は(特に時代も太平洋戦争前後ですから)あまりに生き辛かったのではないかと思います。
天才ゆえの鋭敏な感性、繊細な精神、そしてどこかが欠落した魂。その魂の欠落を埋めることができず、心中という道を選ばざるを得なかった太宰。
凡才ゆえに「生きる」ということにしがみつき、その意味を問い続け「生きる」ということを書いた安吾。
安吾は自らの予言どおり偉大なる落伍者となって歴史のなかによみがえりました。
行儀よく真面目なんて出来やしなかった
夜の校舎窓ガラス壊してまわった

出典 卒業 尾崎豊 作詞作曲唄

紹介者 ダラ男
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これも「ファンタジーじゃないだろっ!」ってツッコミが入るのを覚悟で。ダラ男は尾崎豊直撃世代です。卒業は80年代を象徴する歌です。どこがファンタジーかというと、この曲に共感した10代の人間。その大半は親の前や学校では「行儀よく真面目」にしかなれなかった子供たちです。絶対に「夜の校舎の窓ガラスを壊して回る」なんて出来ないごくごく普通の少年少女だったことです。(おそらく今も尾崎に共感する10代の少年少女も同じでしょう)そういう意味では「非日常」の極みだったと思います。自分には出来ないが、自分の本音を歌ってくれる尾崎。その幻想が彼を時代のカリスマに押し上げたのだと思います。
蛇足ですが、太宰を読んでいた頃「これは尾崎豊だ」と思ったものです。
「誰にも縛られたくないと」いって逃げ込み、「早く自由になりたい」と願いながら時代のカリスマという道化を(さながら「人間失格」の主人公のように)演じ続けなければならかっため、彼もまたこの世界では生き辛かったのだと思います。そしてどこか欠落した魂が「この愛無しでは生きられない」と思いながら、「誰にも縛られたくない」という二律背反。
おそらく、尾崎も太宰も「この日常の世界」こそが異世界だったのでしょう。
「セブルス・・・・・・頼む・・・・・・」
出典 ハリーポッターと謎のプリンス青山社 J.K.ローリング 作 松岡 佑子 訳

紹介者 ダラ男
HP ここ

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チョッとひねった投稿を続けたので王道に戻ります。
現在の世界的ファンタジーブームの火付け役となった、ハリーポッター。当然このサイトでは絶対外せない作品です。投稿日は2008年6月7日、最終巻が出る直前で時期的にも外せません。
紹介のシーンは、ダンブルドア校長がスネイプに殺される直前のセリフです。表面的に読めばダンブルドア校長がスネイプに命乞いをしているわけですが、そこは練りこんだ構成で様々な伏線を張り巡らすローリング女史のこと、額面どおりにはいかないでしょう。
今から最終巻「ハリー・ポッターと死の秘宝」 (上下巻セット) (ハリー・ポッターシリーズ第七巻)が楽しみです。
ロードオブ・ザ・リング
出典 映画 LORD OF THE RINGSの邦題 J・R・Rトールキン原作 ピーター・ジャクソン監督

紹介者 ダラ男
HP ここ

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ファンタジー名文句・迷文句集である以上、迷文句も入れなくちゃ!ということで選んだのがコレ
おそらくディープな「指輪物語」のファンからは映画化を知って期待と不安に胸を膨らませ、ピーター・ジャクソン監督が極度の「指輪物語」オタクであることを知り狂喜した後、邦題を知って一斉に「その題名はありえないだろ!」とツッコミがはいったことでしょう。(かくいうダラ男もその一人)
なぜ?という方も多いでしょうが原題は「LORD OF THE RING“S”」という複数形です。
「そのくらいいいんじゃ?」「日本語に複数形は無いから当然」とお思いでしょうが、この単数形と複数形の違いは大きいのです。
LORD OF THE RINGSと複数形なのは1つの指輪だけでなく、エルフの3つの指輪、ドワーフの7つの指輪、人間の9つの指輪の全てを含んだ物語であることを示しています。そしてそれは中つ国の歴史そのものでもあります。
また、同時にこの話が主人公フロドの物語であるだけでなく、同じ1つの指輪の所持者であった、ビルボ、サム、ゴラム(ゴクリにしたいところですが映画の話なのでこちらを使います)の物語であり、3つの指輪の所持者ガンダルフ・エルロンド・ガラドリエルの物語でもあり、そして全ての指輪が中つ国から去った後の王アラゴルン(そして彼は、この物語の始まりとなった1つの指輪を奪ったイシルディアの末裔でもあり、先祖の因縁の結末をつけた人物)の物語でもあることを示しています。
一方、LORD OF THE RINGとは冥王サウロンのことです。
原作の中でもピピンがフロドのことを「指輪王」と呼んだ時に、ガンダルフから「そのようなもののことを口にしてはならぬ。指輪王というのはフロドのことではなく、モルドールの塔の暗黒の主人のことじゃ」とたしなめられています。
邦題は昔からのファンが慣れ親しんだ「指輪物語」にするわけにはいかなかったのでしょうか。
「あなたのためなら、止まります」
出典 磁器のサラマンダー オースン・スコット・カード作 山田和子訳 『無伴奏ソナタ』に収録

紹介者 司書の駄弁者さん
HP   http://dabensya.sakura.ne.jp/
コメント:
 「ファンタジー名文句・迷文句集」開設を記念しまして。お祝いというにはいささかチョイスが我田引水ですが…。私がとくにひいきする作家、オースン・スコット・カードの短編より。
 少女キーレンは、生まれたとき母を失ってしまう。キーレンのせいで愛する人が死んでしまったことを嘆いた父親は、衝動的にキーレンに呪いをかけてしまった。彼女が愛するものを失うまで、彼女は体を動かすことができないように、と。
父親はそうしたことをすぐに後悔したが、後の祭りだった。
 ある日のこと、父親はキーレンの呪いを解くことができるという魔法使いから、磁器でできたサラマンダーを手に入れた。磁器のサラマンダーは魔法で動き、しゃべることもできるが、いったん動きを止めれば、たちまち普通の磁器に戻ってしまうのだという。
 めまぐるしく駆け回って見る者を楽しませるサラマンダーは、キーレンの一番愛する友となった。そしてそれこそが、魔法使いが解呪を完成させるための鍵だった…。投稿のセリフはもちろん、サラマンダーからキーレンへの言葉です。
 悲しい物語だけれど、決して救いのない物語ではない。短いながらもこの著者らしい作品でした。むしろ悲しいのは、この話を収録している『無伴奏ソナタ』が、長らく品切れで入手難ということとでしょうか。

ダラ男
投稿一番乗りは史書の駄弁者さんから「ファンタジー名文句・迷文句集」開設を記念をいただきました。オースン・スコット・カード自身を存じ上げなかったので、あわてて調べました。「エンダーのゲーム」のかただったんですね。こちらも残念ながらこちらも未読。
愛するものを守るため自分が犠牲になる。そしてそれが愛するものどうしの永遠の別れを意味するものである。そんなシーンなんでしょう。「悲しい物語だけれど、決して救いのない物語ではない。」というのはわかる気がします
そんなわけで皆さん復刊に協力お願いします。
「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言つた。そして右腕を肩からはづす
と、それを左手に持つて私の膝においた

出典 片腕 短編集「眠れる美女」に収録(最初に収録された短編集です。いま読むならどの本がいいのかはちょっと分かりません) 川端康成作

紹介者 垂直応力さん
コメント
SF名文句からきました。サイト解説おめでとうございます。
投稿は幻想とエロティシズムにあふれた短篇の冒頭部分です。
主人公は娘の腕を雨外套に隠して靄の垂れた夜の街を歩きアパートに帰り、腕
と共に一晩を過ごす。話としてはそれだけですが、洗練されながらも濃厚な描写がすばらしい。初出は「新潮」1963年8月号 
こちらで全文を読めます→http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/novel/kawabatayasunari.html

ダラ男
十分ファンタジーです。こういう幻想E的な作品の投稿大歓迎です。
未読でしたが、紹介いただいたサイトで読ませていただきました。
川端康則自体、初読なんですが、さすがにノーベル賞作家だけあって、濃密な描写もそうですが、一つの文章にこめられた意味の濃度がすばらしいです。紹介いただいたシーンの一文で「幻想とエロティシズム」を十二分に感じます。
現在は上に挙げている2つの本に収録されています
「…ここで…ここで一度 
逃げてしまったら…
たぶん その後も
あいつを見かける度に
こそこそしちまう…
『…まだLV(レベル)が足りねぇ』
『まだ自信がねぇ』
『次に…』『次に…』って…
そんな気がしたんだ…
そんな男に…なりたくなかった…!
…自分でも…バカみてえだって…
思う…けど…」


出典:『冒険王ビィト』原作:三条陸 漫画:稲田浩司(集英社ジャンプコミックス)

紹介者 TOMさん
コメント
初めましての投稿だというのに、長いわ漫画からだわで、申し訳ございません。
でも、頭にこびりついて離れないセリフなんですよ(笑)
『冒険王ビィト』の世界は、魔人(ヴァンデル)が世界を蹂躙する、人間にとっては「暗黒の世紀」
その世界で、「暗黒の世紀を終わらせる男」になることを目標に立ち上がった少年が、ビィトです。

3年前、ヴァンデルと戦う戦士である“ヴァンデル・バスター”となったビィトは、憧れのゼノン戦士団と修行を始めます。
しかし、ゼノン戦士団は、ヴアンデルの王“惨劇の王者”と呼ばれるベルトーゼとの戦いに突入。互角に戦いを進めながらも、ベルトーゼによって瀕死の重傷を負ったビィトを守るため、自らの武器であり魂である“才牙”をビィトに託し、ベルトーゼとともに姿を消してしまいます。

そして、ゼノンたちの5つの才牙を操れるようになったビィトの前に、ベルトーゼが現れます。
ベルトーゼの方は全くビィトを気にしていなかったのですが、仇敵を目の前に全力で打ちかかっていくビィト。しかし、戦力の差は歴然、絶体絶命のピンチに陥ります。

そこを間一髪救ったスレッドが、ビィトに向かって
「並みのヴァンデル相手にだって、強豪バスターが組んで挑むのに、どういうつもりなんだ!」
と食って掛かったのに対してビィトが2ページに亙って答えたのが、このセリフです。

なんとなく、無意識に、ビィトが言う「そんな男」に、自分がなってしまっているんじゃないかと、心をえぐられてしまうセリフです。

ダラ男
>長いわ漫画からだわで、申し訳ございません
全く問題なしです。むしろハリーポッター依頼のファンタジーブームの中、現在の日本人の新作で大人が気軽に手に取れる「狭義のファンタジー」の小説は少ないですから。(あえて挙げるなら宮部みゆきさんの「ドリームバスター 」「ブレイブ・ストーリー 」あたりなんでしょうが、これもどちらかというとヤングアダルト向けの印象が強いですから。もう少し広くファンタジー範囲を広げれば畠中恵さん京極夏彦さんといったあたりでしょうか)
残念ながらこれも未読です。
稲田浩司さんが病気療養中でしかもその間に月間少年ジャンプ休刊と今後の展開が心配ですね
「ぐあああああああああっ!!!
クソがっ!!! あのクソ魔人(ヴァンデル)めがっ!!!
いちいちいちいちいちいちいちいち…!!
会う度 私の計画(プラン)を
土足でふみにじりくさってェェッ!!
私は おまえのように
気ままな立場ではないんだっ!!!
次になにか一言でもぬかしたら殺してやるぞッ!!
殺してやる!! 殺してやるともっ!!!
ウガァアアアアアッ!!
フーッ フーッ フーッ
……何を言っているんだ私は…
私は奴とは違う…常に冷静(クール)なのだ…
私は私のやり方で綿密に勢力を拡大し
最後に頂点に立って奴を見下せば
それでいいのだ…
Be CooL…
Be CooL……!」
スッキリ〜〜〜


出典:『冒険王ビィト』原作:三条陸 漫画:稲田浩司(集英社ジャンプコミックス)

紹介者 TOMさん

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『冒険王ビィト』からもう一つ。
前作『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』のイメージが強すぎて、ドラクエの亜流としか見られなかった本作を、確固とした作品として確立させた名セリフだと思います。
前回投稿のベルトーゼがビィトに出会う場面のちょっと前なんですが、“深緑の智将”と呼ばれるヴァンデル、グリニデが、ビィトを罠にかけます。
その罠を見事に突破したビィトを、
「殺しておくかな…この場で!」
と言ったところでベルトーゼが現れます。
ベルトーゼとしては、戦う相手が欲しくてグリニデを煽ったのですが、グリニデは「その手には乗らんよ」と言って、クールにその場を去ります。

で、周りに腹心のダンゴール以外いなくなったところで、ストレスが大爆発!
ダンゴ虫型モンスターであるダンゴールは、その様子を見て「ヤバイ!」とクルッとまるまると、その上からキックやパンチの嵐を見舞いながら、投稿のセリフ
を叫びます。

ヒーロー物が面白くなるかどうかは、敵キャラが魅力あるものになるかどうかにかかっているわけですが、このグリニデほど特徴的で、魅力的な敵キャラはちょっと記憶にありません。
グリニデはビィトファンからは、畏敬の念を込めて、『閣下』と呼ばれています(笑)

ダラ男
原作:三条陸 漫画:稲田浩司の組み合わせは前作『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』の印象が確かに強いですね。
>ヒーロー物が面白くなるかどうかは、敵キャラが魅力あるものになるかどうかにかかっているわけですが
ダイの大冒険でもハドラー・バラン・ラーハルトといった所謂カッコいい悪役だけでなくザボエラもいることで主人公が引き立つというのは良くわかります
>このグリニデほど特徴的で、魅力的な敵キャラはちょっと記憶にありません。
この一文で『冒険王ビィト』読みたくなりました
ちなみに、ダラ男の最も印象深い悪役はコレで紹介した冒険者たちのアニメ版ガンバの冒険のノロイ“様”。一部ではいまだにアニメ最凶の悪役といわれるノロイ様の怖さは多分今見ても ウギャーー ((((/*0*;)/ です。
「悪人に人権は無い」
出典 スレイヤーズ! 富士見ファンタジア文庫  神坂一作
紹介者 陸ドムさん


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初めまして。
面白そうな企画なので私も投稿してみます。

言わずと知れた神坂一の代表作から一つ。
この文句、はたして名か、はたまた迷か?

コメント
コレも未読。このサイトはじめてよかったなぁと思うのはいまだに読んでない名作をたくさん知れることです。さすがに「スレイヤーズ」の名前は知ってます。今これだけライトのベルがたくさん出版されるようになった、きっかけとも言えるある意味古典とも言える名作ですよね。
確かに、名文句か迷文句か迷いますね。現実世界なら迷文句どころか、ある意味犯罪とも言える言葉。勧善懲悪の世界なら名文句。基本的に勧善懲悪ものだけど、確実にやりすぎるリナ=インバースが言ったとなると・・・どうなんでしょう?
我は放つ光の白刃
出典 魔術士オーフェン シリーズ 秋田 禎信作
紹介 唯野さん

コメント知名度の高い作品ですが、一応解説しておくと、スレイヤーズに続いて90年代後半の富士見ファンタジア文庫黄金時代を築いたファンタジー小説から出典です。
「分度器で計り殺すぞ」もこのシリーズを代表する迷台詞なんですが(笑)、まあベタな方で。
「スレイヤーズ」は主人公の性格や語り口こそ革命的だったものの、世界設定はコテコテの和風ファンタジーでした。
それに対して「オーフェン」は科学技術のレベルをもっと現代に近づけたり、同じ効果の魔術でも人によって呪文を変えたり、格闘技の要素を持ち込んだりと、
いろいろ凝った設定を作ってきたのがヒットの一因でしょうか。
この台詞は主人公オーフェンが光熱波の魔術を放つ時に使われる呪文で、シリーズで最も頻繁に使用されたものです。
ただ、調べてみるとどうもこの呪文、「ダイナソア」というPCゲームから拝借したものらしいんですな。
ちなみに、「我は癒す斜陽の傷痕」(修理・治癒)、「我は紡ぐ光輪の鎧」(防御壁を展開)といろいろバリエーションがあるのですが、中には「我はまあなん
でもいいや」なんてのもあったり。(この作品世界においては、呪文の語句そのものに意味はなく、それぞれの術者が好き勝手に考えた文句を叫ぶという設定)。

ダラ男
コレも名前は知っていながら未読。調べたら小説・漫画・世界設定集など、計85冊も出ている化け物シリーズ。
バケモノ的長期シリーズのシリーズで最も頻繁に使われた呪文ってことは水戸黄門の印籠のようなものなんでしょうね。
俺がなんで最初、あんたを猫って呼んだか教えてやるよ 
メイがはじめて俺んところに来た時な。白い猫を一匹連れてて、そいつをリュクセノールって呼んでたんだ。
言ってる意味わかるか?
神サマたちに記憶を封印されたはずなのに。親のことさえ覚えてなかったのに。
あんたの名前は覚えてたんだ。

クロスカディア6 星メグル地ノ訪問者タチ 富士見ファンタジア文庫 神坂一作
紹介者 陸ドムさん

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5つの月が巡る地クロスカディア。そこには4つの種族が4つの大陸に住んでいた。
その一つ、東の大陸に住むヒューム(普通の人間)の少年シンドレッドと自分のことを悪人と言う少女メイの冒険を書くシリーズ最終巻から。
実は神の娘だったメイの両親と記憶の封印を解くため、神様の住む世界に行ったシンドレッド一行が、メイの親に仕えるリワーダー(獣人に変身する種族)に言った台詞です。
この部分だけならいい台詞なんですが、自分が仕える相手ではないが、神の決定なら従わねばならないのではないかと言うリワーダーにムカついて言った台詞ですので、この前後がかなりの暴言になっています(笑)

ダラ男
これまた未読の飢え、前後の状況もイマイチつかみきれてないので、的外れかもしれませんが、記憶を封印されて親のことさえ覚えて無くても相手の名前を覚えている程の、親子の間より強い心の絆。というのがポイントでしょうか。
>神の決定なら従わねばならないのではないかと言うリワーダーにムカついて言った台詞
二重の意味で日本人的だなぁと思いました。
「神の決定」さえ従う必要は無いという日本人の髪に対する信仰心の薄さ。
自分の仕える神でなくとも、集団の暗黙の了解には、不合理・不都合でも従わなければならないムラ意識。
その両方を感じさせるこの場面。
短い文章のなかに、人間の自立と心の絆の大切さを伝えるあたりが、ライトノベルの第一人者たる所以でしょうか
ほうほう・・・・いやはっはっは。
こんなことになやんで、どうしたのですか。
これはもはやトンチの領域ですぞ、みなさん。

聞けば、これはすなわち「分類」に対抗するための戦い。
ならば重要なのは「分類」にとらわれないことです。

とくにキスリングさん
あなたの意見はよろしくない。

これは扉だ、という「分類」にとらわれるからいかんのです。
開く扉だ、なんてことを忘れればよろしい。

となれば、やることは一つ。
はい、みなさん、どいてどいて。

せーの・・・・

はあああああぁぁぁぁぁっ!
理不尽執事不動拳ッッッ!

ほら、この通り。
では心おきなくお通りください。
あでゅー。

出典 PS2用ソフト ボクと魔王 SCE発売
紹介者 陸ドムさん

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シナリオ一級システム三級と言われるPS2最初期のRPGから。
ラスト直前、主人公達を呼びつけたラスボスの部屋の扉が開かない。
今さらこんな扉で足止めできると思ってるわけ無かろうに、ブチ破ろうか、と言う所で仲間の一人変人学者キスリングが扉である以上扉として開けるべきではないかと言い出し、では何かいいアイデアが無いかと呼び出した魔王の執事ジェームスの台詞。
結局ブチ破るんかいと仲間にも突っ込まれていました


ダラ男
やっとプレイしたことのある作品からの投稿。でもイマイチ内容を覚えてないんです。 [壁]/_;) シクシク
>扉である以上扉として開けるべきではないか
現実でも「分類」ではないですが、常識や思い込みにとらわれることってありますよね
>ブチ破ろうか、と言う所
常識や思い込みをとりさらっても実行するのは難しい。
>せーの・・・・
>
>はあああああぁぁぁぁぁっ!
>理不尽執事不動拳ッッッ!
>
>ほら、この通り。
>では心おきなくお通りください。
こうやって常識や思い込みをとりさらって実行出来る人間に私はなりたいです。
むう、私が考えるに、この両者の戦いはすなわち意味論的に呪的記号の内に設定
・決定づけられた「勇者」「魔王」の2つの超強力なる属性が・・・・

・・・・それを持つ者の人格をすら上からぬりつぶすようにその全体を支配し、
思考そのものがそこに固定されたイメージのためにのみ機能しうる・・・・

・・・・きわめて単純明快な機械的側面をはっきりと浮かび上がらせ、それゆえに、それのみによって起こる闘争のモチベーションが・・・・

・・・・えー、つまりだね、ルカ君。
彼らは今、「よーするに勇者だから」「よーするに魔王だから」戦っているのだよ

出典 PS2用ソフト ボクと魔王 SCE発売
紹介者 陸ドムさん

コメント
同じくボクと魔王から。

ラスボスの前にやってきた主人公一行。
しかし仲間の勇者と魔王が突如戦い始める。
それを解説した学者の台詞です。

相手に役割を押し付け、強制的にその役割を果たすだけの駒に変化させる…これこそがラスボスの操る「分類」の力なのです

ダラ男
「分類の力」現実にも働いてますよね。
「ようするに母親だから」と良い母親を演じなければならず無理をしてしまう人
「ようするに会社員だから」と上司の指示で法を犯さざるをえない人
「ようするに国の命令だから」と戦争でたたかわなければならない人。
でも「ようするに政治家だから」といって国民や国の未来を考えずに、既得権益の維持や党利党略のみを考える人には、分類の力は及ばないようですね
あの男へのイヤミで広めてやった話だがヤツめ、やはり気に入らなかったようだな。
オチの部分を「消された」のかもしれん。

そのくせ、望みもせんのに「笑い話」という「分類」が効いてるもんだから、どいつもオチを知らんまま笑いよる。アホな話だ。

出典 PS2用ソフト ボクと魔王 SCE発売
紹介者 陸ドムさん


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もう一つ分類の力の恐ろしさを物語るものを。
主人公達とは別にラスボスに対抗しようとしてる人がいますが、彼は元々ラスボスの部下。分類に嫌気が差して何とかして分類の力を無効化する発明をしようとしています。

そんな彼がラスボスに対する嫌がらせで流した話が岩ガメと石コロ。

岩ガメの子供が迷子になって、親亀が石コロを我が子だと思いこむ話。
町の人に聞くとここまで言って笑い転げて先が聞けません。

現実でも、あれ?どこが面白いんだろうって芸人を見て笑ってる事ってありませんか?

ダラ男
さすがにコレは覚えてます。この話を聞くまでが面倒だったのをよく覚えてます。このシナリオの確信とも言える名セリフです。
>現実でも、あれ?どこが面白いんだろうって芸人を見て笑ってる事ってありませんか?
その場の雰囲気や勢いで笑っちゃうことは良くあります。コレはその空気を作るのも芸のうちなんでしょう。
それでも、あれ?どこが面白いんだろうって芸人さんいますね。
「どうして、それほどわたしを愛してくださいますの?」
 日本の語り手はいう――「女は絵よりもはるかに美しかった――すばらしい美
しさだった――心も気立ても美しかった――この世のだれよりもすばらしかった
」篤敬が女の問いに何と答えたか、書きとめていない。それは想像にまかせてある。
 「でもあなたは、じきに、わたしがおいやになられるのではございません?」
女は訊ねる。
 「生きているあいだは決して!」彼は抗議した。
「では、そのあとは――?」女はさらに主張する。――日本の花嫁は、ただ一生だけの愛には満足しないのである。
 「二人でたがいに誓い合おう」彼は嘆願した、「七生のあいだ変らぬと」
 「もし無情なことをなさったら」彼女はいった、「わたしは衝立(ついたて)にもどりますから

出典 「衝立の乙女」(The Screen-Maiden) 新潮文庫『小泉八雲集』 小泉八雲 作  上田和夫 訳
紹介者 好古真之さん

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古道具屋から買ってきた衝立の姿絵に恋した若者の話を。
こんにちは、お邪魔いたします。司書の駄弁者さんのSFめい文句集のほうから参りました。
さて、小泉八雲〓ラフカディオ・ハーンといえば『怪談(Kwaidan)』などの、日本の民話や伝説、文化風習などを英語圏に紹介した数々の作品集。その中から代表作を蒐集したこの『小泉八雲集』にも、「耳なし芳一のはなし」「むじな」「ろくろ首」「雪おんな」などのおなじみの作品が収録されている訳ですが、面白いのは、英語圏の読者に供する必要上、外国人の立場からの説明を加えていること。「(日本の封建時代に、イギリスのヨーマン階級に相当する、半農の武士――土地所有者――があった。それを郷士と呼ぶのである。)」 とかね(「安芸之助の夢」)。

 ちなみに、本作「衝立の乙女」のオチの付け方は、こう。

 「日本の作者は声を大にしていう――
 『この世でこんなことはめったに、起きるものではない!』」

 つまり、そうそうテレビ画面やらパソコンやらから女の子が出てきたりはしないんだよ、という事ですね、分かります(違)。

ダラ男
俗に「夫婦は三世」といいますが、七生のあいだ変らぬ愛というのが当時の英語圏でどう受け止められたのか知りたいです。
マイクル・ムアコックのエレコーゼとエルミザードの愛を考えると案外英語圏でもすんなり受け入れられたのかもしれません

>ちなみに、本作「衝立の乙女」のオチの付け方は、こう。
>
>「日本の作者は声を大にしていう――
>『この世でこんなことはめったに、起きるものではない!』

昔から二次オタはいた!というわけですか。
今も昔も同じような話を繰り返しているということはオタクは日本人のDNAに刻み込まれてるのかもしれません(笑)
「でも、あなたが気がついているよりも、ずっとわたしはひどいことをしたの。本当はわたし、あの日とだなと、きのう、わかったのよ。あのひとが、モミの木の林のほうへおりていっちゃいけないと注意したあの時。それから、今夜あんたが起こした時も、ほんとにすぐあのひとだなとわかったわ。それは、心のおくのほうでそう思ったということなの。わたしがもっとふかく考えれば、よかったのよ。でもわたしは、やたらにあの森からぬけだしたかったの。だから━━━どうしよう?わたしあのひとになのいったらいいかしら。」
「きっと、何もいうひつようはないわ。」

出典 ナルニア国ものがたり2 カスピアン王子のつのぶえ 岩波少年文庫 C.S.ルイス作 瀬田貞二訳
紹介者 ダラ男

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2008/6/15現在、映画放映中にあわせてのコメントです。選んだのはアスランの姿を見たときのスーザンの言葉とそれに対するルーシィの答えです
キリスト教の教えをわかりやすく子供向けのお話にしているナルニア。神への信仰の大切さ、過ちを犯しても懺悔してやり直すことが出来ることを伝える重要なシーンです。でもコレがずっと先の伏線になってます。

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